5月26日(火)に開催したmy Japan Award 2015 キックオフイベントのトークセッションをほぼ書き起こしでお届け!【1】
ゲストはmyJapanAwardの審査員でおなじみ、東北新社 中島信也さん、PARTY 伊藤直樹さん、銀河ライター 河尻亨一さんです。
ここでは、myJapanのこれまでや、ゲストが感じる現在の世の中における動画の立ち位置、今年のmyJapanAwardのテーマ発表までをお送りします。
◯そもそも、myJapanと審査員達はどんな関係か
河尻亨一さん(以下、河尻):はい、というわけでですね、河尻と申します。よろしくお願いします。今日はお越しいただきましてありがとうございました。えーっと、私はですね、myJapanの審査をですね、もう6年やらせていただいておりまして、審査員というより、むしろこういうイベント時の司会みたいな感じに最近はなっているんですけれども。
まあ今日もですね、非常に尊敬する中島信也さん、伊藤直樹さんからですね、今年のmyJapanというのはどういう風にみなさんが参加していくといいのかという話ももちろんしていただくし、そもそもね、クリエイティブというか、あるいは映像制作やデザインというのはどういうところが面白いのかっていう話もですね、絡めつつ聞いていこうという贅沢な約2時間・・・、90分ですか、になると思いますのでまあひとつよろしくお願いします。
で、さっそくなんですが、myJapanのキックオフということでですね、今日は皆さんお集まりいただいていると思うんですけれども、まあこれ29歳以下ならどなたでも参加できるですね、映像制作のコンクール、コマーシャルのコンクールでして。この中で、今年myJapanへのエントリーをちょっと検討しているというか、心の底にちらっとでも、そういう野心みたいなものある方どれくらいいらっしゃるでしょうか。挙手をお願いします。
(オーディエンスから半数以上が挙手)
河尻:あ、結構、7割くらいは、まあちょっとmyJapan出してみてもいいかなーって感じですねえ。じゃ、さらに聞きますが、そうでもない、えー、なかなかこれ勇気がいるところだと思うんですけども(笑)まあそういう方もちらほらいると。その方々はどんな話を聞きたいっていう。myJapanの説明はね、今日わりとふんだんにするんですけれども、それ以外の方でせっかく来ていただいて「なんだmyJapanの話ばっかだよ」って、まあ当たり前なんですけど(笑)myJapanのキックオフなんで。でも一応ちょっと、ヒアリングをしておくと、どういう・・・こう狙いですか。今日この場に座っていらっしゃるのは。
参加者:そうですね・・・。僕は、就活中なので・・・。
河尻:はあ〜、就活中・・・。
参加者:広告業界に興味がありまして・・・。
河尻:あー、なるほどね。こういった方々がどういう風な切り口で物事を斬っていくのかというのを、ちょっと見極めたいっていうようなことなのかもしれませんね。そして多分、終わる頃にはmyJapanへの出品を検討し始めていると思いますんで。あのひとつね、そういうことも意識しつつ、ということでお願いしたいと思うんですけれど。
まあそうですね、就活にって話もあったんですけれど、最初にまあ話してほしいっていう風に言われているテーマとして、これもう6年目に入ったんですね。去年5周年で結構いろんなイベントもやって盛り上がったんですけれども、いかがですか。信也さんも伊藤さんもかなり早い時期から審査等々関わっていただいているんですけれども、まあ6年目っていうのはなんですかね、これもう少なくとも、2010年に始まって2020年まではやりたいよなっていうことだと思うんですけれど、おそらく。知りませんけどね(笑)どうですか。この今までやってきたことに対して、お二人、まあこれまで4,5年は審査していただいていて、信也さんも最初から審査していただいているのでなんか感想というか・・・。
中島信也さん(以下、中島):あのー・・・そもそもの感じとしてどうなんですかね。皆さん知ってんのかな。このmyJapanって。
河尻:myJapanを、知ってるっていうのは・・・。
中島:一体なんなのか。わかってるのかっていうところで。いつもほら、岡本くん(前代表)が「myJapanというのは・・・」って話あるやん。
河尻:あー、なるほどなるほど。
中島:そういうのが大体、前提としてもう今はネットがあるから知ってんのかな。
河尻:どうなんでしょうか。myJapan、まあ最近聞いたぐらいで何なのかわからないという方は。言葉としては知っていても。
(挙手がチラホラ)
河尻:あ、少し。ほぼほぼが(知っていると)。
中島:ですね、ですね。じゃあ一応まあ、知ってる前提で話す中で、知らない人はちょっとわかっていってほしいんですけどね。いわゆる映像コンテストではあるんですけれども、まあ”myJapan”というだけあって、元々あれやんね、日本の良いところをもっともっと他の国の人たちにも映像で伝えていければ良いなという思いがひとつある中で。ですから一番最初は、まあ観光誘致というかね、招致というかね、そういう形の目的なんかも持っていた中で、2011年の震災があって、震災を経て今度はまた違うミッションが出てきて、震災があったことによって、僕らみんな今までは目も向けなかったような地域に目を向け始めたというかね。
それで、もちろん被災地だけじゃなくて日本には東京以外にも、僕東京と大阪と福岡を行き来してるんですけど、東京以外にもいろんなところがあって、いろんなことをやってて、良いところもあるし困った問題もあるんだなってこともわかっていくっていう中でね。なんかもっともっと僕たち自分たちの国のことも知らないといけないし、自分たちが自分の国の魅力、いろんな地域の魅力を知ることによって、世界に発信できるんだなっていう形に、やや震災を経て変わりましたよね、見方がね。
映像の果たす役割も変わってきて・・・いう中で、僕らは広告の仕事やってて、伊藤さんなんかはもうちょっとパブリックな仕事やってんですけど、僕なんかどっちかというと商業的な仕事をやってる中で、このイベントはね、すごく、自分が映像を、僕はCMのディレクターという仕事を32年やってるんですけども、その中で学んできたというか、先輩たちから伝えてきていただいた事柄をね、みんなに良い形で伝えていくきっかけになってるというか、自分がやってることが単なる商業目的だけじゃない、映像によるコミュニケーションを作ることによって、もっともっとなんか・・・みんなが幸せになれるというか、もっともっと良い国に良い世界になっていくということに自分が少しでもね、手伝えんのかなっていうところが、そもそものきっかけだったんですね。
で、震災を機にその思いはさらに強くなっていってるんですけども。まあやってる中でね、それに応えてくれるかのように年々やっぱり、質が高くなってきてて・・・。
河尻:高くなっていってるんですよね。
中島:でも最初は、箸にも棒にもというか、「やっぱり素人が映像作るとこういうことになるんやな」っていう感じからスタートしたんですけども、ただまあ切り口は面白かった。切り口がちょっとやっぱり面白いなっていうのはいっぱいあったんですけども、そのうちだんだん切り口の面白さもさることながら、映像の質も高まってきて、結構みんなで、シビアな戦いが繰り広げられるようになってきて、これはだからいずれここの受賞作というかね、今年もあそこ(渋谷交差点のスクリーン)で流すのかな。
河尻:あのー、(運営に向けて)流れるんですか。その予定だそうです。
中島:でっかいね、スクリーンで。こうスクランブルの交差点のスクリーンで流れたりするんですけども、充分プロの目に耐えうるぐらいの映像作りになってきてて、かといってアイディアの鮮度も落ちてなくて、いや面白くなってきてるなっていうのが僕の感じですね。関わり方と感じっていうのはそんな感じですけど。伊藤さんなんかはどうでしょうかねえ。
河尻:聞いてみたいですねえ。
伊藤直樹さん(以下、伊藤):あのー、そうですね僕も、どうでしょう、(審査に入ったのは)2回目とかですかね。
中島:そうやね、第2回ぐらいから。
河尻:伊藤さんは2回目からですね。
伊藤:2回目ぐらいから審査をやらせていただいて、基本的には、まずなんでしょうね。映像賞って僕が大学生の時ってもっとあったような気がして、まあ「ぴあ」とかもありましたし、いろいろな映像賞があったんですけど、年々減ってるというか(笑)どんどんなくなっちゃっていって。このmyJapanだけは最近とみに頑張ってる。自分がやっぱり学生の時に、そういう映像コンクールとかに出して「一旗上げてやる!」みたいな気持ちもやっぱりありましたし。きっと何か皆さんそういうモチベーションでやってると思うんですよね。だからそれを基本応援したいなっていうのが1つと。なんか外国人が今年1500万人来るらしいんですね。1500万人って、すごくないですか?(笑)
中島:東京都と同じくらいやね。
伊藤:そうですね、東京都の人口に近いぐらいの人が来る。で、私週一回京都に行ってるんですけど、新幹線の乗車率は今、中国人が乗ってるかどうかで決まってるんですよね。もう私1年間(京都に)ずっと通ってて一番混んでるなって体感した時期は、中国の旧正月の時期。
河尻:あ〜。
伊藤:新幹線まったく取れなかったんですよ。もう大行列で、「なんだこの・・・何があったの!?」って言ったら中国の旧正月っていう・・・。もうそれぐらい、もう京都にいると本当に外国人であふれかえってることがものすごく肌でわかる。それぐらい今、日本は注目されてるし、足を運んできてくれてる。でも話をすると、”厳島”、”京都”、”日光”ぐらいしかやっぱり足を運んでくれない。
河尻:う〜ん・・・。
伊藤:でも私、この間、成田のLCC(の第3ターミナルのクリエイティブディレクションを)やらせてもらって、あのー、成田からいきなり鹿児島に飛べたりするんですよ。
(引用:http://prty.jp/admin/wp/wp-content/uploads/41.jpg)
ですから、外国から来て「よし、鹿児島行こう!」って行けたりできる。それだけ旅が便利になっているからあとは情報さえ知れれば、もうたどり着けるわけじゃないですか。でも、鹿児島のことなんてなかなか知ってもらえるチャンスがなかったりもする。でも多分みなさん、その地元っていうのはもう色々なところから(今日は)いらっしゃってると思うんで、それをアピールしてもらったらその1500万人押し寄せてる人が、違うところに行くかもしれない。
それぐらい、良さいっぱいあるよねっていうのを、ぜひ僕もわかってほしいし、それのお手伝いだったらいくらでもするよっていう気持ちでやってるんですよね。だから、自分の地元をアピールしたいぐらいの気持ちでいいと思うんですよ。僕はぜひそこに、情熱注いでほしいなあと思います。それはぜひ、いくらでも応援しますっていう感じで。今日も参りました。
◯「ものすごい熱心にやってるんで、これはやっぱ応えていかないかんなと。」
河尻:今、お二人のお話を聞いてて思ったんですけれど、この6年という歳月は、やっぱなにか深まったなっていう気がするんですよね。毎年キックオフが大体この3人で、去年は伊藤さんがスケジューリングがね、それで二人でしゃべったんですけれども。やっぱりなんか、信也さんも伊藤さんもかなりくっきりとこのアワードに対する考え方みたいなものを、年々新たにバージョンアップされていってるし、しかも実際さっきのお話にあったようにコンクールとしてもすごく充実してきているっていう(中で)この6年目を迎えているんですね。
どうですか、実際審査をやってみて、もう少しその辺り具体的に聞きたいんですけど。なんで、(審査員を)続けているわけなんでしょうか。これは、まあさっき”パブリック”ってお話もありましたように、myJapanっていうのは基本的には、これは僕たちがお金を儲ける仕事ではなくてですね。
中島:そうそう。
河尻:教育というか、なんていうんでしょうか、社会的なそういうものが根底にあるんですね。社会貢献的な。その”貢献”っていう意味ではですね、なかなか続けるっていうのは、まあ色々あるとは思うんですけれども、なんでこう・・・。まあぶっちゃけ僕なんかもしかしたら成り行きかもしれないんですけど(笑)
中島:成り行きは大きいんだけどね。
河尻:ま、もう少し、それで終わってしまうとね、ちょっとあれなので。これはmyJapanの(運営の)人たちが聞きたい。だからちょっと不思議に思ってるんじゃないですか。なんでこの人たちはずっと審査をやってくれているんだろうって。
中島:僕らはあのー、あれですからね、もしもここで講演をしたりするとあの一人50万円ずつぐらいもらわないといけない・・・
オーディエンス:(笑)
中島:人たちなんで、しかも全然もう、お茶1本でやるわけですから、ボランティアといっちゃボランティア。ボランティアっていうのもいろんなボランティアってあるんですけれども、僕らがやっぱクリエイティブの仕事に携わっている、コミュニケーションの中で日々、仕事の中で苦労していることを使ってみんな何かこう、世の中のためにできないかなっていうところではあるんですよね。で、そこはすごく自分の続けている理由というかベースにあって、僕だって会社があるので(笑)そんな遊んでばっかいられないんですけども、空いた時間にそういうことするのは、すごくプラスになるし。
今日もうちの会社の人間も来てくれてると思うんですけれども、若い映像制作者にとってはかなりレベルの高いコンテストになってきてるんで、勉強になるし。エージェンシーの人なんかもエントリーしてますよね。電通さんとかすごく(エントリーしてて)、プランナーの人とかもエントリーしてきて、だんだんプロも入ってきて広がっているというのがあるのと。あと、どこからか東急さんが手伝ってくれるようになって、すごくバックアップしてくださるようになって、こういうね、素敵な場所でできるように(なった)。もっと最初の頃は、どっか記憶にないところで(笑)すごい大変な、場所も苦労して、映すのもエライ苦労して、音声も苦労していうところで。
大体あのー、岡本くんっていうね、myJapanの今、顧問というかおっさんが(笑)(元々は)学生の兄ちゃんがいて、その兄ちゃんが一人で始めて、めちゃめちゃ大変すぎるからもう毎年毎年ね、単位も取れなくて留年するし、これ(myJapan)ばっかりやってて。で、「もうやめる」と。「もうやめる」「もうやめる」っていうのを僕らがね、「やめたらアカンやろおまえ〜(笑)ここでやめたらアカンやろ」って無責任に後押しをして(笑)で、やめずに続けている以上僕らもね、それ言うた以上は岡本くんの人生もあることやし、これはやっぱり付き合っていかなあかんなと。
で、岡本くんよりも若いネットワークも、スタッフでどんどん入ってきて、ものすごい熱心にやってるんで、これはやっぱ応えていかないかんなと。おっさんとしてはね、映像の、プロのおっさんとしては、これなんか、みんなに応えてあげたいなって気持ちがすごくあって。おもろいですよ!ほんで、審査面白い!
河尻:面白いですよね。まあそれ第一にありますよね(笑)
(昨年の一次審査の様子@PARTY)
中島:去年なんかね、PARTYのあそこのでっかいスタジオで審査をやらせていただいて、すごくやっぱり、そらおもろなかったらやらへんわな(笑)
河尻:まあそうなんですよね。
中島:応募作が、やっぱりすごく刺激にあふれてて面白いし、頑張ってるんで、僕らもやっぱりやる気満々になっていくっていうのが、すごく正直ありますよね。
◯映像ってやっぱ面白いよねっていう。
河尻:伊藤さんは、さっき京都のお話に出てましたけど、京都でも(京都造形芸術大で)指導をされてるわけじゃないですか、学生の。教育的なとこはやっぱり面白いですか。
伊藤:そうですね、今年ね、ちょっと変化があって。伊藤ゼミっていうのがあるんですけど、去年までは、何を間違って僕のゼミに来たのかわかんないですけど、今、美大って女子率が8割ぐらいで、もう女子大みたいなんですよね。美大の人いらっしゃいます?ちなみに。
(挙手がチラホラ)
伊藤:ほら、女子、女子、女子、男子・・・
中島:あれ、でも意外と美大少ないな。
河尻:美大少ないですね。
中島:美大の人はね、東京まで出てくるのが大変なんだよ大体。
伊藤:(笑)
中島:八王子とかね、小平にいるからね。
伊藤:それで(本題に戻ると)、「何やりたいの」って聞いたんですよ。そしたらね、今年、去年はちらほらいたんですけど、「やっぱ映像っす」みたいなことを言う人間がね、増えてるんですよ。
中島:あ〜、間違いないね。
伊藤:まだね、1,2年前までは「プログラムとかもやりたいです」っていう、ちょっと背伸びした感じとかもあったんですけど、一周回って「やっぱ無理」みたいな。
中島:(笑)
伊藤:「プログラムとかやっぱちょっとやってみたんですけど無理っすボク」みたいな。「数学できないっす」みたいな。
中島:そうね、数学ね・・・。
伊藤:ちょっとわかってきてるっていうか、世の中が。で、映像ってやっぱ面白いよねっていう。多分、YouTubeとか見てると楽しいじゃないですか。「こんなに映像って面白いんだ!」みたいな。NHKでも民放でもみんなYouTubeを紹介するような番組やってて、それだけ映像ってのは偉大だなっていうことが、世の中に今、気分としてあるんじゃないかなあと。で、自分もやっぱり一周回って、色々やってますけどなんだかんだいって映像が一番好きなんですよ。映像が一番面白いですよね。作ってても。
河尻:なるほど。
伊藤:だから、自分のこのピュアな気持ちを、多分みんなも同じように思ってんじゃないかと。ここに来るぐらいだから。応募するくらいだから。だからまあ、それはぜひ、応募してきた気持ちを、自分はぶつけてほしいというか、浴びたい。シャワーのように浴びたいなっていう。
河尻:それが伊藤さんの刺激になっていると。
伊藤:なるんですよ。これはね、僕の日々の生活に刺激になる。
中島:そうやね。映像は、確かに特別なものじゃなくなってきてるから。昔は、例えばホームページを作るときには、写真を乗っけるという世界だったんですけれども、ホームページを出す企業ってもう絶対映像を使ったコミュニケーションになっていくし、映像の方が早いっていう感じってのがあって。文字よりも早い、写真よりもすごく色々なことが伝えられるという、そういう、感覚的に映像は当たり前のものとして出てきてるんやったら、すごくすばらしい映像を作る人たちとかもいっぱいYouTubeとかで見ていると「こんなんできたらおもろいのになあ!」っていう風に、思い出してんのはあるでしょうね、気配としてね。
河尻:そうですね。
中島:僕らのときはポスターがかっこよかったのと同じように。「すんごいポスター作んなあ」って。学校とかで、交通ポスターとか一応作るんやけども、ちょっと中学とか高校とかになってくると、大人のポスター見て、「うわ、このポスターかっこええな!」「プロが作るとちゃうな!」みたいなんが、(映像の立ち位置が)今ちょうど僕らが(昔)ポスター見てたぐらい、僕今56歳なんでだいぶちゃうねんけど、そんな感じに近いように、映像が身近なもの、自分でも作れるけどもプロが作るとすごいなっていう感じのもの。昔はね、プロでしか作らへんかったから、プロの人しか映像を作らなかった。あとは8mmマニアのお父さん。しかなかったんですけど、今普通に作ってるけども「わ、こんなん、すごいの作る人いるな」ってのが、見えてきてる中でちょっと「ここチャレンジする価値あるかな」っていう感覚は増えてるよね、学生の中でもね。
河尻:あの、CM自体の意味が広がってるところがありますよね。さっきも信也さんが言ったように、テレビCMっていったら本当に極めた人しか作れないという感じがあったんですけれども。そのためには特定の制作会社とかエージェンシーとかに入らないといけなかったのが、僕なんかニュースとかジャーナリズムとかそういう世界のほうの人なんですけれど、去年ぐらいからやっぱりね、動画でどう伝えていくかっていう。テキストだけじゃなくて、やっぱりニュースの瞬間というのは動画があったほうがいいんだろうと。
(引用:http://mag.sendenkaigi.com/hansoku/201312/images/077_01.jpg)
中島:そうそう。カンヌのフェスティバルが、ほとんど動画でしょ。
河尻:動画ですね。
中島:ポスターのエントリーにしても動画は作る。グラフィックのコーナーでも動画でエントリーして、みんなそれで、動画に票を入れるんやね。プログラムにしてもそうだよね。プログラムも、イベントも、何かイベントのコンテスト、いろんなカテゴリー、17カテゴリーかな今あんの。いろんなカテゴリーあるんやけども、全部動画で審査するよね。
河尻:動画が上手にできてるかどうかによってちょっと評価も変わってきちゃうという。
中島:まあ、あかんとこもあんねんけどね、それによってね。動画のほうが良くて、実際は大したことないとかね、あんねんけども。そうなってきてて。
河尻:そういう必須な技術にね、映像制作が。
中島:映像というものがすごく、ものすごく自分たちにとってネイティブなものになってきてるっていうのは確かやな。
河尻:どうですか。myJapan興味なかった方ももしかしたら、ちょっとこれは出してみると良いことがあるかもしれないって思ってきたよね(冒頭の参加者へ)?って言ってる顔なので。やっぱり動画素晴らしいなと。
中島:あとは今日伊藤さん来てくれてるのをはじめ、かなりそうそうたる面々、僕自分のこというのもあれやけど(笑) 審査員ですよね。審査員の種類って、そのコンテストによって色々あるんですけども、かなりイケてる審査員ちゃうかなと。僕そういう人たちと会うのも楽しみなんですよね。今を生きる人々、今を生きるみなさんと、一緒に審査をしていけるっていうのは、おじさんにとっては。僕だってほぼ最年長やろ?あ、木村くんのほうが・・・若いか。
伊藤:木村くん(笑)
中島:僕のほうが歳やな(笑)ほぼ最年長やけども。もうヤングのみんなとね、新しい感覚で、審査をするっていうのも動機のうちのひとつですね。嬉しいです。
河尻:なるほど。今の、CM2.0的なというか、そういうところにも乗っかってるコンテストで、やっぱりお二人おっしゃっていたように、今どんどんどんどんレベルも上がってくるし、見るのも楽しい、審査も面白い。ということでですね、我々もずっと続けさせていただいてるんですが、とは言っても6年目においてですね、大きな変化が一つありまして。
それが何かというと、さっきから何回も何回も「岡本」「岡本」と言っている、その今やおっさんの、元兄ちゃんがですね、後ろへ退きまして、ということはですね、彼も今後は後ろからバックアップをしていくと思うんですけれども、新代表というのが誕生しているんですよね。そこでみなさんに6年目の新しい代表を紹介させていただきたいと思うんですけれども、ここでですね、新代表から今年のお題についてご説明をしていただく時間にしたいと思います。
−ここで新代表の束(そく)からのあいさつと今年の募集テーマ、テーマ設定の理由を説明させていただきました。
さてここから、今年のmyJapanのテーマを審査員3名の視点から分解していきます!
Text;Ryo Taniguchi